育ち合う喜びを共に

~ こどももおとなも、一人ひとりがたからもの ~

 

保育に関わる「こども観」には、「こどもを白紙のようにみなすこども観」と「こどもを主体として見るこども観」の、大きな二つの流れがあると言われています。

 「こどもを白紙のようにみなすこども観」は、「大人が白紙のこどもに働きかけ、次々と何かを書き込み。それによってこどもは成長する」とする考え方です。このこども観では、こどもの遊びは「こどもの能力発達に役立つから必要」と捉えられ、運動能力を高めたり、知的興味を拡大するための手段となります。この場合、保育者が主導的に遊びを提供することになりやすく、「形をなす遊び」「目的が明らかな遊び」「集団としての遊び」が目指されます。

 これに対して、「こどもを主体として見るこども観」では、「遊びは、こどもが主体であるところからこそ生まれるもの」と捉えます。こどもたちは、周りからしっかりと愛され、見守られているという安心と自信を持つことができれば、必ず自分から外界に働きかけ、遊びを生み出す力があると考え、しかもその遊びを主体的に「面白い!」と感じる力を持っていると捉えるのです。

 この場合、保育者はこどもが見つけた「遊びの楽しさ」を受け止め、映し返し、その上で「その遊びの楽しさがさらに膨らむように」働きかけます。その視点からは、「形のない遊びや、目的がないように思える遊びや一人遊び」であっても、遊びとして一段低い遊びという評価にはなりません。むしろ「その遊びがその子にとって本当に面白かったか」「その子がどれだけ『遊びこめたか』が大切」になります。

 ヒカリ園では「こどもを主体として見るこども観」に立っています。ヒカリ園が実践している「キリスト教保育」の理念である「神様が、一人ひとりのこどもたちにかけがえのないたからもの、個性を与えてくださっている。」ということに重なるからです。

 わたしたちヒカリ園のスタッフは、おうちの方々と一緒に「神様が一人ひとりのこどもたちに与えてくださった宝物」を見つめます。実は、そのことを通して、わたしたち大人もたくさんの喜びを与えられ、成長していくのだと思っています。

 この「育ち合う喜び」を、皆さまもぜひ、共に味わってみませんか?ぜひお待ちしています。

 

園長 水谷和人

園長からのご挨拶はこちらからご覧ください。~ごあいさつ~